cocoa days

ミニチュアダックス・ココアと飼い主Mayunezuの試行錯誤の日々の記録。

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私の大好きなBlog「コーギーBLOG」さんに思い切ってトラックバック。(いきなりすいません)

コーギーBLOGさんの「新年に思うこと」より
昨年一年間、私の心を悩ませたのは己に対する敗北感であったと思うということだ、色々な事実を認めたくなかったのだと思う。一般論ではなく、私は多くの他者にない能力を持ち、多くの人々が持つ能力を持っていない。そして、私の望む物は自身が持たない能力に拠る種類の物であり、私はそれを認めたくは無い、そら金はできても、一生幸せになれんわ。

もうもうもう、私の気持ちそのままなのですよ。

↓また長いです&あんまり犬と関係ない話です^^;
私は去年、はるパパさんほど人生において大きな決断とか転機があったというわけではないけれど、人生において「敗北感」を強く味わったという意味では、一番印象的な年だったと思っています。

私は多分、仕事に負けたのだと思う。悔しいけれどきっとそうなんだ。
対外的に見れば「成功」したように見える事実に、私が負けてしまった。そんな「成功」はいらなかった。私がほしかったのはもっと違う幸せだったと、「敗北」してから気付いたのですね。

大切な人を大切にできる人でありたかった。
自分のことを大事にできる人でありたかった。
そんな簡単なことも分からなくなるような「成功」なんて、いらない!

ココアは私に、そんな強い意志をくれました。

私は、成り行き任せの人生は嫌だ。自分の人生は自分で切り拓くべきだと思っている。本当にやりたいことがあるのならば、それに向かって努力していこうと思っている。その考え方が現実の怠け者の自分とのギャップを生み、自分を苦しめていることはわかっている。それでも、私が求める幸福はその過程から生まれてくるような気がしている。
 しかし、今、私が感じている小さな幸せはほとんどが、意図した物でなく偶然から生まれたものだとも思う。はっきり言って、私の否定してきた幸福だと。

幸福がどうしたら得られるのかということは、誰にも確信が持てないのだろうと思います。「こうすれば幸せになれるだろう、なれるかもしれない」というぼんやりした希望を胸に、人は行動するんじゃないかな、と。私はココアに、そんな「ぼんやりとしたもの」を期待していて、結果的に「意図したものではなく偶然から生まれた幸せ」をたくさん手にしたのです。

幸せはきっと、ほとんどは意図できない場所にあるんじゃないかなーという気がします。
だって人はみんな、生きるのが初体験なんだもの。

ココアがうちにきて2ヶ月あまり。
「100%私を頼って生きる存在がいる」ということの責任と幸せをかみしめて過ごしています。

↓部屋に入るわずかな光の隙間にぴったり入り込む、今日のココア。こういう貪欲さも最近忘れてたかもなあ。
ひなたぼっこココア
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